2018年4月19日木曜日

石の上にも三年。

 ミナペルホネンの皆川さんが書いた「ミナを着て旅に出よう」という本を読み終えたのですが、その中に中学高校の部活で培ったことが今でも生かされているという内容があって、自分の高校生活を思い出しました。

 私は高校の頃にアーチェリー部に所属していました。やろうと思ったきっかけはスポーツで全国で1番になりたかったから。通っていた高校がアーチェリーの強豪校というのは兄もやっていたので知っていて、運動神経が皆無な私でもアーチェリーならトップになれるのではないかと浅はかな理由で入部しました。でもさすが強豪校とあって、1年のうち360日は暑かろうと寒かろうと雨が降っていようと毎日練習してハードなトレーニングをするというストイックな生活が待ち構えていて、アーチェリーで明け暮れる3年間を過ごしました。ろくに勉強もせずに。笑
 アーチェリーは1日でも空いてしまうと弓を引く感覚が鈍ってしまうからこそ、この練習の頻度だったと思うのですが、2年の夏に肩を負傷して弓を引く度に激痛が走りとてもできる状態ではなくなりしばらく練習を休むことにしました。その時は同学年で運動神経がいい子はやっぱり着々と成長していって、それに比べて私は下手くそで点数も全く伸びない状況の中でのストップ。女子リーダーをやっていたのですが、完全に一人取り残された気がしてアウェイとはこういうことかと実感しました。たぶんその時期だったと思うのですが、追い打ちをかけるように学校で嫌がらせというか陰湿ないじめも受け、悪いことは重なるなと感じていて。何もかも嫌になって退部ということも考えたのですが諦めきれない思いも強く意地もあったので、毎日部活に行ってみんなと一緒に自分のできる範囲でトレーニングをして、練習中はずっと指導に回って人それぞれの体の動きを研究したり、やることがなくなったら部活で使っている倉庫や教室の掃除をする、いつ復帰してもいいように弓矢の調節を徹底するなど、やれることを見つけていつか報われる時がくるでしょうと信じて過ごしていました。それと同時に自分の居場所がなくなるという恐怖に耐えられなかったというのもあったと思います。
 その3ヶ月ほどの期間を経て復帰し、それから不思議と点数が伸びていって3年の時にはインターハイなど色んな全国大会に出場でき、現役最後の試合となった国体の団体では悲願の優勝をすることができました。その時の決勝の状況は今でも鮮明に覚えていて、ものすごく風が強く悪天候の日だったのですが何も怖いものはなく迷うことなく伸び伸びと射つことができて、今まで共に練習して勝ち上がってきたチームメンバーを心から信頼し、観客席からは他の京都代表メンバーが一丸となって応援してくれる声が聞こえ、滅多に褒めない顧問のスパルタ先生が「お前ほんまうまくなったなー!」と叫んでくれた、そんな色んな状況が重なり、3年間で一番強くなった気がしたし、初めて試合中に射っていて心から楽しいと感じた試合になりました。
 もちろん競技人口も少なくマイナーな競技なのでハードルは低いと感じられても仕方ない面はあるのですが、この最後の試合で見た景色は今でも大きな自信になっています。そしてこの高校の3年間で、何をやってもうまくいかない時期はやれることを自分で見つけて継続して時が来るまで辛抱強く待つこと、運動神経が悪いとか才能とか持って生まれたもので諦めなくてもいいこと、そうすればもしかしたら結果は出るかもしれないという希望があることを学びました。
 
 モデルというのは特殊な職業でメンタルも相当強くないと厳しい世界であるけど(どの世界でもそうかな)、なんだかんだこうして続けていられるのはその高校で培ったものがあるからかもしれません。

 この過去の栄光で唯一後悔していることがあります。それは優勝して京都新聞のスポーツ欄に大きく取り上げられた写真の自分の姿が目を覆いたくなるレベルのスーパーブサイクだったこと。帽子を被っていたから髪の毛がぺったんこでボサボサ、嬉し涙で顔はグチャグチャで鼻の穴がこれでもかというぐらい開いていて、撮られるとわかっていてなぜこんな顔をしたのか。家で載ってる載ってる!と家族で喜びつつも微妙な空気が流れていた気がします。それも良き想い出ということで。

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